2011年4月6日水曜日

被災者になってしまいました。

私の事務所は宮城県の仙台港と松島湾の間の沿岸部にあります。
3月11日午後2時46分まで、普通の日常が私のまわりで流れていました。
最初は小さな揺れが段々大きくなり、やがて立っていられないほどの揺れに変わり「まだ終わらない まだ終わらない」と、非常に強い揺れが5分以上続きました。

「本当に死ぬかも」と思いました、人間は本当に怖い時って何もしゃべらなくなるのですね、
地震がおさまり我に帰るまでの間の数分間みんな黙って立っていました。

その時から非現実の生活が始まりました。
ニュース映像でしか見たことがないような光景が目の前で展開し、街から音が消えました。
正しくは「音が耳に入ってこない」状態です。
 まず子供達を学校に迎えに行きました、外は季節はずれの吹雪で学校に着くと娘は吹雪の中
校庭で泣きじゃくっていました、よほど怖い思いをしたのだと思います。
娘を自宅に連れ帰り、今度は息子を中学校まで迎えに行くのですが、通常沿岸部を通って行くのが一番近いのですが、街中に出る際に横ぎる川を渡るとき見えるはずの無い川底が見えていましたその時はじめて「大きな津波が来る」と感じたのです。
 
その後は、どこをどう走ったのか息子の学校にたどり着き、息子を車に乗せ又無我夢中で家まで帰りました、「とにかく水の来ないところ」を考えながら走っていたのですが一部で川が氾濫し道路にあふれ出ている箇所があり、「津波に追われている」とはっきり認識しました。
普段なら15分程で帰れる距離を1時間かけてやっと自宅にたどりつきました。

ライフラインは全滅です。
電気 水道 電話 など全てが止まり情報はラジオのみになってしまい、窓の外は本当に真っ暗闇
で、星ってこんなにあるんだと思うほど満天の星空でした。
映像による情報が無いため、(携帯のワンセグTVは見れたのですが小さい画面では実感が掴めません)リアルに把握できない状況でした。
それでも津波による被害が尋常ではないことがラジオで解り、家族が寝た後も海の方を見つめ寝ることができませんでした。
 そして真夜中に今度は突然のすさまじい爆発音がしたかと思ったら、空が急に真っ赤になり自宅から2㌔程先の石油コンビナートから、すさまじい煙と炎が上がり始めいよいよ現実に起こっていることが、どのくらいすごいことなのか解ってきました。

ようやく朝になり、家のまわりの状況を確認しようと外の出たのですが、見慣れた光景が一変していました。
津波は自宅の150メートル程まで押し寄せてきて、在るはずの無いところに家が有り、見えるはずの無い海が見えました街の様子が全く変わってしまいました。

近所の海水浴場がコンテナだらけになっていました。

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